勉強というものをここのところずっとしていない.いや,勉強を学生時代の効率の悪い努力と定義しているからしていないだけで,学びは多い.効率の良い教材となる動画は多く見ていて,ジャンルも多彩に増えた.研究で考えを進めて新しい知識を得た.教会などで出会った信仰の友と行動を共にして本当に多くの学びを得た.貴重な学びは日常の至る所に隠れており,気づけていないだけである.
若さとは愚かさである,と牧師はいう.若い時代は鈍感で周りがまだよく見えていない.牧師本人の述懐が含まれていると思われる.確かに私は周りの人たちに気を配れるほど歳をとっていない.経験も少ない.経験の機会を作ることにも積極的ではない.だからそれ相応の成長しかしない.とも言い切れない.私なりに多くの経験の機会を設けて活動しているので,1年前の自分とは大きく異なれた.
勉強したいことはいくつかある.英語を使った物書き,プログラミング講座の準備と教材の作成,発声と音取り,建築図面の模写.並べてみると少し欲深いが,学生時代から広がった関心領域を満たすことが勉強なのだろうから,自然なことだと思いたい.勉強して身につくことは本当に関心があることで,根から深い興味を注いでいることであり,今後も高い頻度で意識に上る類のことである.
若さとは愚かさである.知らないし,やったこともないし,考えたことも感じたこともない.そうした経験を持つ先達の存在を知れただけで,若者は進歩する.私は教会やボランティアや市民活動を通じ,この街に暮らす多くの先達と時間を過ごせている.動機は移り変わる.達成し満たされるから,新たな視点で目標が立つ.そうやって関係を続けられることが自分にできるのだという驚きと自信が,歳を取ることなのだろう.
