10年前は精神が活発で,色々な幻覚を見た.想像か妄想か区別しないがイメージが次々浮かんでは消える生活だった.おかげで私生活が破綻しかけていた.しかし,中年36歳の今は,それらイメージの出現も安定し,真面目に物事に取り組めるようになってきた.イメージは次々新しいことを連れてくるが,本当に新しいことなど稀であった.一方,最近のこの正確な認識による生活は,しかしながら生産性が高い.
つまり,10年前の私は何もわかっていなかった.作り方も仕組みも,理論も実践も,理解が不十分で内容も曖昧だった.いくら実践しても一定の水準まで辿り着けないので踠き苦しんだ.才能がないので諦めようと思ったこともあった.でも,今一介のWEBプログラマとして食べているのは,生まれつきの性格と,育ってきたなかで一番好きなことである「文字」を扱う仕事であることなどの条件が揃ったからだ.
希少性がある.多くの人が私の水準で働くことが難しいと感じられる職能を,私は身につけようとした.踠き苦しんだこと自体,それほど踠き苦しまない人間が実はほとんどだったのだ.適職を十何年と探し,見つけたWEBコーダーになろうとしてさらに数年間苦しんだ私のような人間だから,今,WEBプログラマとして仕事になっている.仕事にありつけた喜びは,若き日からの投資を回収できた喜びでもある.
私は自分の職能に満足する日も増えたが,それ以上を追求したい思いも芽生えつつある.WEB開発の技術を新たに身につけたい思いと,WEBデザインをいくつも作りもっと腕を上げたい思いがわいている.今の職場に採用された4年前に比べ,できる幅は明らかに広がった.作れる品質は確実に上がった.職場環境のおかげである.その機会を逸したくない.真の努力はこれからが肝心.正念場はこれから始まる.
