私はY世代に属するのだけど,Y世代の特徴として言われていることは,私の特徴というより,私が書籍やメディアや大学で受けた教育の内容である.つまり今Z世代やα世代が生まれているということは,私が若い時に親しんだ言説や未来の展望は,永続的なものではなかったのだ.一時的な世代の形成に寄与しただけで,それに慣れてしまった今はその世代の特徴を持って暮らしているが,生活様式なんてそんなものだろう.
私が高校生の時に,いわゆる詰め込み教育が否定されゆとり教育に変わった.この時,詰め込み教育を真面目に受けてきた私は自分の半生が否定されたような感じがして辛かった.今までの自分を脱皮しようと踠き始めたのも,高校を転学し美術の道で感覚を磨こうと思ったのも,この詰め込み教育の否定によるところが大きい.そして,数年前にゆとり教育が終わり,詰め込み教育に移行したのは周知のとおりである.
今になってわかるのは,世代の特徴も個人の環境も,制度や技術によって規定されていて,その中で適応して生きようとした人ほど,その世代の特徴を引き継いでしまう.本来何度でも順応できるはずなのに,特定の価値観や概念を受け入れて進んでしまうがために,世代間移動や特徴の更新ができにくくなっている.若い時の感覚を思い出せば古い世代感が現れるし,新しい世代を理解しようにもついていけない,となってしまう.
世代は確かに存在する.そして,自分の世代感覚を更新できるほど私たちは自由ではない.世の中に生きる人は,ひとりたりとも世代に属さない人はいない.重要だと思うのは,異なる世代の間を橋渡す交流をどのように持つかという,今高齢世代が頭脳を振り絞って考えている知恵である.私はそれに学びたい.同じ世代の人を知人友人に持てない環境にいるからこそ,より普遍的な姿勢を身につけておきたいと思うのである.
