幸せに生きることは私の義務である.この社会で生きる人が各々の幸福を追求する限り,この社会はうまく回るようにできている.本当は誰も不幸に生きてはいけない.でも,不幸な人生というのは存在するし,人を不幸にする人間もいなくならない.パチンコやカジノや競馬はいつまでも潰れないし,酒やタバコや過剰な糖質で人生を半分以上失っている人は少なくない.それらを絶つことが難しいからこそ,不幸になる.
だから銘々が自己の幸せを追求しなくてはならない.自分が何をして幸せであり,何をすると他人の幸福を損なうか,いつも考え,弁えておかなくてはならない.行動しなくてはならないか,行動しないよう注意しなくてはならない.人間の幸福とは.人により異なると言えど,身体の仕組みはヒトであればそれほど変わらないから,ヒトが幸福を感じる出来事のバリエーションは,そう多くあるわけではないだろう.
問題は,それらを実践することに節度を持てるかという均衡論である.いくら人を幸福にすることだからとやり過ぎても,自分が不幸になるだけで済むからといってやらなくても,人の均衡は簡単に崩れる.もし自分を御する馭者の鞭を持たなかったら,人生は堕落の一路である.あるいは,駿馬の脚を持って走っても,進路を導いてくれる方位磁針がなければ,岐路の選択前後に己の判断に迷いと悔いを深めるだろう.
ある賢人が幸福に生涯を閉じられたので,誰にでも幸福に生涯を閉じる才能が備わっているといえる.幸福と賢さは限られた人のものではないから.ヒトの身体はそう多様ではない.人生が変わる健康法というのは存在するし,習慣を強くすることは幸せと強く結ばれるところがある.誰彼の方法を勉強し多くの情報を得ることは大切だ.でも,誰彼の考えたことから離れた習慣時間こそ,自分を幸福にさせる力を持つ.
