右を見ても左を見ても仲間がいる.昔はそうだった.しかし,今の社会は互いに離れて暮らし,互いの存在と温かくつながることが難しい.害毒のある関係は捨てるよう指南され,親族の間も空間的な距離を保つのが普通になっている.個人の時間が何よりも尊ばれ,その時間を過ごす術を持たなければ生きていけない.その時間を有意義に過ごすために教育があるし仕事もその仲間かもしれず,ひとりを尊重する時代だ.
とにかくひとりの時間の過ごし方はいろいろと増えた.動画を視聴し続ける,映画やアニメを見て,ゲームや漫画,小説や自己啓発書で研究し,その結果,デザインやプログラミングや外国語を少しでも勉強する高い意識を養い,そこにどんな意味があるか考えながら目標立てて少しずつ進めていく.そんな自己研鑽の時間が最も良いとされる時代に,他の人が嫌でやらないことを見出してやる人こそが生き残る社会である.
自分の教養を深めたくても,知識を少しずつ得て認識の糧にしようとも,情報をたくさん得てたくさん伝えようとも,真に意義深い行為は何か別にあるだろう.それはおそらく,変化を続けることに関係している.変化に応じ続けていくところに,すなわち流れゆく万物に合わせて己を流れと同じくし,己も流れる存在であり続けるところに,逗留と始動,休憩と活動の合間に,流れを生じさせることが,生きていくことだろう.
この世には流れないかのように見える物事が多すぎる.スマホの画面,書斎に置かれた雑誌,家そのものや街並みもそう見え得る.しかし,流れを認めることが大事だ.自分の外の界隈も内なる世界も,絶えず流れて位相を変え運動し,停止などないと知るべきだ.だからこそ静止を欲するのだけど,動いていることを熟知しているからこそ人工的静物を取り入れたくなる.ヒトはいつまでも静かではいられない存在である.
