この人間社会は良くなっているのだろうか.少なくとも,1世紀前より闇は縮まった気がする.情報の流通路が確立し,必要だった時間が短縮され,物流も何もかも早く安くきれいになった.いわゆる物質的にも情報的にも完成したといっていい程度の仕組みが確立した.物資の不足で飢える状況は少なくなった.しかし,相変わらず,感染症は蔓延するし戦争は起こる.我々80億人が神の国を造ることは絶望的に無理である.
しかし,神さまから賜物をいただいているのは,それを活かすためである.困っている誰かの役に立ったり,仕事として生活の糧を得たり,誰かが喜んでもらえることで幸福を感じたりするためだ.神さまが80億人それぞれに下さった賜物を活かしている結果が,今のこの社会なのだ.だからこの社会は誰かが誰かのために役に立つ行いを日々繰り返した結果である.この社会は既に多くの不幸と共に,多くの幸福を作り出している.
中には賜物を活かしきれない不幸を持つ人も多いだろう.自分の賜物を認知することが意外に難しい場合があるからだ.そしてそれを誰かの役に立つレベルまで磨き上げる過程が存在するので,ここで諦めて脱落した人も少なくないだろう.賜物に気づいてからそれを磨き上げる過程で,無心に没頭しそれを好きになることを経験するはずだけど,この経験がなければ賜物で人の役には立てないのかといえばそうでもない.
日々生きていると,経験が積み重なって,その蓄積がいつ誰を助けるかは予めにはわからない.でも,必ず誰かを助ける日がやってくる.今役に立つことを諦めている人でも,別の角度から役に立つ時まで備えているのだ.無駄なことなんて何もない.活かせる日が必ず来る.無駄な経験も,取り立てて活かそうと考えなくなって,役立っていたことを知る日がいずれ来る.その時を待っていればいい.神が呼んでくれる.
