近代の完成について.近代の遺産が現代を形成している.産業革命から通信技術に至るまで,近代の創造性を抜きにして現代は認識できない.階段の高さを人間の歩幅に合わせて作り,足の収まりが良いように一段を少し斜めに傾ける工夫など,作り方は定番化した.ある意味で完成したといえる.製法が完成したものほど安く入手できるため,売る側の価格も買う側の収入も安くなっている.これは賃金が上昇しない背景である.
生活に必要な物品が安く流通していることで,賃金が低くても楽に生活でき満足度が高い.近代に始まる発明改善のベストプラクティスが達成された影響である.近代は完成する.いや,一部ではもう完成している.UNIQLOや無印良品やスーパーをはじめ.洋服も日用品も食材も,多くの物が完成している.つまり,生活に必要な物が入手しやすくなっていることが,近代の完成を表す.その品は行き着くところに来たのだ.
それでは,近代の向こうに何があるのだろうか.そもそも近代を超克する必要はあるのか.私はないと考える.近代の目的は何だったか.経済発展,労働人口増,強い国と富んだ資本家.そういった目標が未だこの資本主義社会で続いている.そのレイヤーが今なお浮遊していることは認めたい.しかし,それらを希望として持たない人にとって,近代の目的とは生活しやすさを後世に残すことだったのではと考えたくなる.
今この社会では,お金持ちや広い人脈や支配と統制に情熱を燃やす人間のほかに,大多数の人たちそれぞれが異なった価値を持っている.目標はひとつではなくなり,方法も目的も意味も唯一ではない.しかし,物の設計にはベストプラクティスが存在し,完成している物品は着実に増えている.いろいろあるうちはまだ完成ではない.いずれあらゆる物,あらゆる情報,あらゆる価値が,望ましい形に完成する時,近代は完成する.
