私は献金や募金をよくする.人のためにお金を使うと幸せだからだ.贈り物もよくする.なので貰い物も多い.そうした交換をよくしていると,ある習性が身についた.それは,自分のためにお金を使うことが恰も不幸なことだと感じるようになったのだ.自分のほしいものを買うことで,それを作って売った企業は潤う.そう考えれば,ほしいものを買ったって誰かのためになる.でも,そう思えない買い物が多いのだ.
自分が使うものを買うことに,幸せを感じられないのだと思う.いや,自分が使わなくなってしまったものを買ったことに,深い悔恨を感じるのかもしれない.誰だって自分が買ったものを使わなくなって捨てるときには多かれ少なかれ後悔する.私が買い物を幸福だと感じられないのは,使わなくなるであろうものをしばしば買ってしまうからだ.自分の必要な物だけを買い続ける難しさも,買い物という行為には隠れている.
無駄な買い物をするくらいなら,もっと上手く使ってくれる人に任せたい.そういう思いで投資している.もう続けて6年になる.お金は社会のもっと必要なところに巡らせるべきだと私は常々考えている.お金が足りずに行われなかった事業,生活費を工面するために費やされた時間,そういうお金があれば回避できたであろう時間の使い方を,もっと有為なことに充ててもらえたら,社会はもっと良くなる.そう信じているのだ.
使い方が決まっていて,効果も見定められている状態で,事業は融資を受ける.だから私の普段の買い物も,使い方も効果も含め見通しが立ってから買うべきである.それなのにいつも好奇心から買ってみて,使ってみてしばらくすると,生活に不要だと判明し,押入の奥かメルカリで視界から消えていく.お金を使うことは,お金を稼ぐこと以上に疲れる.お金の重要性を日に日に感じているからこそ,資産を守ることが難しい.
