考えが足りないことはよくわかっている.というか日頃考えるエコシステムは人によってほぼ全く違うので,全く同じ考えにたどり着けなくても何も気にすることはないと思うことにした.私は私の思考機関を持っているし,人には人の発想の源泉があるし,比べてもコピーしようとしてもいつまで経っても同じにはならない.人は違う.だから人は集まって話し合えるのだ.同じ人がいたら言葉なんて使えないはずだから.
考えを進める上でもっと広く深く強い知識を持ちたいといつも思う.本,特に古典から学ぶことは多いと感じるが,1日の読書で感銘を受けるのは精々多くて3つくらい.それ以上は処理できず,実行に移せないので身に付かない.だから無理して長い時間読書するのは慎んでいるし,多くの本を当たりすぎることも極力やめている.読みたい本は次々見つかるけど,学びを得つつ理解して読めるかといえば多くの場合自信がない.
私は36歳にしては多くを勉強に費やし多くの本を読破してきた過去がある.だから一定の見識を持てる才能が育っていると思うし,それゆえそれぞれの趣味をそれなりに早く深められる傾向がある.趣味を楽しめる理由はその若いうちの広範な読書に由来すると思うので,もし人に幸せになる方法を聞かれたら,若いうちの読書と思索を勧めるだろう.幸福な人生の奥義は趣味が広く深く充実することだと思うからだ.
さて,若いうちにこれだけ多くの文化に触れ吸収してきたので,老後が楽しみである.老後にとっておくのではなくて老後はできることが大きく限られるはずなので,今しかできないことは今やるようにしている.空腹になったら食す.動きたくなったら外へ歩き出す.我慢や遠慮はしない.今のうちにやっておけば,その習慣が病気や怪我を回避し,より長い間を無事に暮らせすかもしれないから.「老前」の活動を重んじたい.
