この世の中いろいろな人がいるものだ.ユーモアがある人,丁寧な人,批評する人,要求や非難する人もいる.良し悪しをはっきり区別して対してきたけど,その区別は常識的な拙いもので,もう少し奥を深めてみると,苦手で苦痛な人間だとしても良い面を見つけられる.自分が反省の種とすることで自分に利益をもたらす場合や,今まで見聞きした人間のコレクションに加えることで,自分の器の幅が広がることもある.
どんな人間と対しても,その「使い方」で利益を引き出すことができるのだ.嫌いだとか酷いとか苦手と言って対するのをやめてしまえば,その受けるはずだった利益ないし利用権をむざむざ放棄することになる.自分の好き嫌いの基準を明確にして付き合う人間を選んでいると狭くなるが,人間をよく見てたとえ悪い噂の立つ人であっても良い面を見出せた時は大きな利益を引き出せたのである,見出せた人も多くないだろう.
いろいろな人が,いろいろな場で,いろいろな言動をとる.それで自分がどうか考える.考えうるのはその人の言動の理由推測と自分の今後の言動だ.人生は意外と決まっていない.自由な選択,常にそうである.視野を固くして動けば楽な面もあるけど,人間の幅は出ないだろう.自分の域を出ないからである.いろいろな人と関わり言動をよく見て,よく見極めていれば,どんな人でも理解でき,長くやっていけるのだと思う.
その人の全てを理解することは困難であるし,そうする必要もない.完全な理解者なんて本人以外にいない.だから,人を理解するなら自分から見た人の一面がわかるにすぎない.人は謎だ.完全な理解ではなくて,自分を広げるにつれ見識が深まることを,人を理解するというのだろう.自分の認識がしっかりすること,だんだん物事がわかってくること,弁えるようになること.そういった成長をいつでもどこでも続けたい.
