きちんとやる.ひとつのことをきちんとやるだけで大変な労力と時間が費やされる.本当はひとつのことをただ愚直になす人物の方が,多くのことをそれなりにやる人より大成すると言われている.イエスキリストは,ひとつのことを成就したことで全てを成就した.神さまがそうされたのだから,その似姿であるわたしたちもひとつのことで多くをなすように造られている.これに従えば自ずと神さまが助けてくださる.
でも,ひとつのことに満足しない傾向を持つ人はいる.私もそうである.やる時は深く入り込み追究するのだが,ひとつのことをある程度成すと満足し,他のことにも首を突っ込もうとしてしまう.どうせある程度で終わってしまうのだから,大成するまで離れないか満足の基準をかなり高く設定しなければ,人様の役に立つことさえなし得ないだろう.でも,その過程が楽しく当人に幸せをもたらすので,甲斐はある.
誰かの役に立とうとする思いがあれば,仕事ができるようになって多くの人に好かれるだろう.一方,自分さえ楽しければ良いと自分の娯楽を享受していれば自分は限りなく楽しめるだろう.どちらが良いというのではない.自分さえ楽しめれば良いという思いは誰しも少しは抱くものだろうし,自分が楽しいことに興じる習慣を持てている人は少ない.自分さえ良ければという考えを社会が暗黙に否定しているからである.
自分が良ければ,自分はいつか満足を覚える.そしてそうして身につけた技術や知識はいずれ,それを必要とする人の役に立てる.だから,自分さえ良ければ良いという考えであってもいずれ誰かの役に立つのだと思う.社会が暗黙に提示する人物像が実は絶対正義ではないことを,もっとよく知りたい.そのために敏感な気づきときちんと考える知性を備えていたい.この枠だって私の正義に過ぎず,絶対的方法ではないのだ.
