情報が大事で,自分で考えることが大切で,と言われて育った世代に入る私.どうやらその営みにも飽きてきた.今まで多大な時間を情報を得ることに費やし,知識となるまで考え抜き,関心を育て,それなりの苦楽を経験してきた.だから後悔はないし,時代の生き方として胸を張れるほどだ.でも,もうそろそろこの習慣も期限が切れたようで.これからどんなふうに生きていこうか考え始めている.
情報を受動的に浴びるだけで,自分で自動的に考えるだけで,鍛えてきたこの回路は,仕事で役に立つ場面も多く,無用ではない.でも,どうも何かが足りない.決定的に欠けている.それにまだ気付けていない.もちろん完璧を目指しているのではなく,何かの不足が不満な一心からのことであり,その裏には今のこの思考回路に飽きてしまったことが大きい.つまりもっと世界を自分を広げていきたいという宣言なのだ.
飽きてしまったのだから,退屈がとても辛い.推し量るに,東西の賢人の古典を本で読むようになって,自分の思考の狭量さに嫌気が差したのが背景にある.なので,表面的には思考の幅や深さや高さを達成すれば満足すると思う.けど,そこに達するにはまた再び多大な時間を要する.要するに今のこの営みを続けることになるが,この営みに何かを足したい,あるいは捨てたいということを欲しているのだろう.
今の自分に嫌気が差し,新しい習慣を取り入れる.よく聞く中年の目標設定である.自分もその例に漏れない.もっと豊かな何か,もっと優しい,もっと愛の深い,そういう人間的な資質を極めたいという欲である.これは一段成長した証かもしれない.壮年期を迎えるにあたり,それに相応しい資質を具えたいと思うようになったのだ.東西の賢人の古典から読み始めてみようか,きっと読めて役立つだろう.
