石橋を叩いて渡る.10代の自分はそういう考えで生きていた.といってもやることは思い切ったものが多く,部活中心の生活から高校を離れる生活に切り替えてみたり,突然美術予備校に通い何かすごい作品を作ったり,英英辞典を全訳したり漢和辞典を通読して語学を身につけたりと,独創的な方法で手段を選ばない人間だった.それは今でもそうで,自分で自分に命令して身につけた性質はそう変わらない.
しかし,それら見上げた努力は実を結んだが,努力しすぎた面があるように思う.達成に満足し,それがあまりに深いので,これ以上この速度で何かを続けることに倦怠を感じるようになった.それは芥川龍之介のそれに近いものがあるかもしれず,その点は注意しているが,信仰を持っているので心配ない.とにかく,やりたいことはいくつもあるけど,同じ努力を傾注する生き方はもうできない気がしている.
つまり,自分の軸的な最も達成したいことを達したので,他のことは余興である.それは素晴らしく良い人生,普通なら達しようもないほど恵まれた幸運である.私の死後に私の功績が有名になる可能性も否定できない.この場合,私の死後にそうなることを望む.存命中に有名にならないよう細心に注意し,神さまに祈っている.有名になるかは良しとして,その私の業績が少なくない人の役に立つ未来が見える.
21世紀を隠れて生きた幸福な人物.そういう紹介の仕方をされるにせよ,私のことは森に隠した木の葉のように,この部録のどこかに鏤められているにすぎない.私の方法をなぞると成功する,とは保証しないけど,幸福に生きる方法にはなると思う.人生の底から信仰によって引き上げられた事実.23世紀までに迎えるだろう工学的に完成された社会が形成される最中,この技術時代の過渡期にある今らしく生きる.
