本も楽譜も勉強も,自分で作り出したものより作家が作ったものの方が必ず面白い.この件についてよく考えておきたい.普通ならこの点は既に大人になる前にある程度考えているものだと思い,自分は何かを生み出す側にはなれないと早々に人生を半ば諦めたような人がごまんといる.私は幸か不幸か,そのような思考に染まらなかったので,自分で生産する側に立てた.しかし,あまりに考察が未熟なままだった.
作品として売られているものは,そのお金を払う理由がある.面白いのだ.それは自分にとってだけではなくて,その他の多くの人にとって面白い.だから売れる.よく読んだり聴いてみたり弾いてみるとすぐにわかる.これが天才の手だ,と.それを編集したり乗り越えようとするのは野暮で,作品はそのまま玩味し繰り返すほうが,天才を傷つけずに済む.そういった尊重と継承の文化が,西洋にはあると感じる.
こうして自分で考えてみると,この自分で生み出した文章は自分にとってはたまに興味深いものがあるが,他の誰かにも面白いとは思われない.だから,自分の書いた文章を読む楽しみとは別格の位置に,古典や新刊を読む楽しみを置く.私はこれで一向に構わないと思っている.自分で作りたい欲求はこの部録で解消するし,考えるにつれて視界が開けたり概念操作が的確になる訓練になっており,既に用を足せている.
読書も音楽も,自由に読み聴きして良いので,好きな時に好きなだけ,好きなように読み聴きしている.しかしいつも思うのは,天才による面白さというのは確かにあるということ.そして,私に欠けていたことのひとつが,その天才の面白さを味わうだけの鑑賞能力だった.天才に表すべき敬意を欠いていたのだ.私は今日から天才を讃える.そして,全地を造った全能の神さまの偉大さをますます大きくするのだ.
