いよいよ富に関心が消え,蓄財殖財も放置している.そこで,関心はどこに向かっているか.貧困である.お金持ちより貧困に興味がある.というのも,お金持ちになる方法は過去の賢者たちが書き残している通り,地味な少しずつの積み重ね.それで充分な財産は築けるのだ.しかし,貧困にはこうした一般的な解決方法がない.不思議ではないか.お金持ちになる方法はあるのに,貧困から脱け出る方法がないなんて.
これは個人の問題でもあり社会の問題でもある.時代や環境が変われば,貯め易くすることはできるだろう.でも,今この時から,貯蓄が1円もない状態から,10万円,50万円,100万円といったまとまったお金を作ることは,地味だが積み重ねれば,きっと誰でもできる.ところがこの手順を始めることが難しいのが問題なのである.職業が不定で収入が平均の半分以下,健康とは言えない食事をするのがやっとだという.
この貧困を解決するという問題は,お金持ちになるにはという問題より,厄介で難しい.だから私はお金持ちになることの興味を失った代わりに,貧困を解決する問題に関心を持った.実は以前から貧困を体験してみたくて,20代後半に無職の時代を過ごした.しかし結果は意外にも,無収入無貯金でも,いやむしろそのほうが,幸せだったのである.物もお金も持たない暮らしのなんと身軽なことか.自由そのものだった.
この体験から,幸せになる方法は存在するといえる.でも,貧困に陥って幸せに暮らせるなら,そのほうがいいと考える人は少なくないと思う.もし低収入であっても幸せなら,私はそれを問題にしない.私が知りたい問題は,貧困に陥った上に不幸だと感じる人たちだ.絶望の只中であろう人.その人がどのように社会と関わり,人生を肯定できるか,その過程に関心がある.だから私はお金持ちではなく貧困に目を向ける.
