終業後,ある作家の講演会をYouTubeで聞いた.終わると自動推薦で紹介されたベートーベンのピアノ演奏を聴いた.そして手元にあるドイツ哲学書を繰り,ドイツの詩人の手記をぱらぱらと読んだ.どうして高校3年時の光景が蘇った.溢れ出る美への感情.美を追求しようと思い立ち美術の門を潜った17歳の私は,今どこにいるかといえば,まさにここにいるのだ.当時描いていた大人の生活,それが今この暮らしなのだ.
当時は,将来のために美的感覚を磨きたいと考えていた.学問や経験も大切だけど,美的感覚は若い時に磨かないと機会を逸すると考えていたからだ.実際この戦略は奏功し,その後勉強受験して情報科学と神経科学を修め,今の研究所に就職したが,私と同じ経歴や背景を持った人についぞ出会したことがない.個性的な経歴.これに美への感覚が磨かれたとなれば,高校生当時の目標は充分達成したことになる.
17歳当時の思い描きを少し深く振り返ってみる.美しいものへの視線とアンテナを磨くため,美術館や博物館には行った.水彩を描きに折り畳みイーゼルとパレット,それにラファエロという筆とマーメイド紙を貼った木板を担いで,美しいと思う建築を平日昼間から描きに行った.暇ができたら文学や哲学を耽読し,ウェブサイトを作って文章を公開してもいた.結局,当時の習慣がすべて今も引き継がれている.
18歳までに形作られた習慣のおかげで私は今幸せに生きている.もしあの高校を中退しないで卒業証明欲しさに続けていたら,就活はうまくいったかもしれないが肩身の狭い人間になっていたに違いない.私はいまだにあの高校を選んで入学したことを半分後悔しているが,入学できたことはいまだに誇りとしている.人生は1回きり,若い時間にできなかったことを,今の余裕あるこの時間ならまだ何かやり遂げられると思うに至った.
