何か「現実感」がいつもほしい.いつも空想の中に浮遊している心地なので,感覚的に地に足がつかないまま生きている.それで現実に着地するには何か言語が必要だと感じていて,きょうもある小説を古本で読み,3時間くらいで読み終えた後,一気に現実の文脈を得て,今の私の立ち位置などに気付かされ,つまり人間性を回復した.私を彫り起こすには,具体的で人間的な,文章が必要なのだと実感した.
世界の感覚は言葉で彫られていく.世界が石なら,言葉は鑿だ.どうやって自分が今ここに存在しているか理解するには,世界を彫り起こす言葉が必要なのだ.どんな言葉で彫り起こすかは自由だが,少なくとも,自分が理解して読める文章でないと意味がないし,憧れた文章であったら逆に空想が強まり現実から離陸してしまう.それはそれで効能のある文章と言えるが,空想的な私には現実的な救いが必要なのだ.
音楽も同様で.やはり相変わらずゴールドベルク変奏曲を聴いているが,聞くほどに世界の認識の粒度が上がってきているのを感じる.細部まで見て,細部を考え,細部も作り込む.そういう職人技能が今高まっている気がする.そういうわけで,空想で終わらせず,現実にアウトプットすることを念頭に,文章にも音楽にも触れているが,ピアノの鍵に触れる指は言葉に値し,その練習も世界を彫り起こす作業になる.
今を生きる現実感を持たせられる文学や音楽を作りたい.空想に耽ることは簡単だ.読んで見聞きして何も作らなければ良いのだ.しかし私が目指す位置はそうでない.読んだり聴いたりすると世界の解像度が上がり,より世界が豊かに明瞭に立体的に見えてくる,そういった作品を作りたい.自然や人間や神さまを主題に,くっきりした塑像を作りたい.そういう願いがあるからこそ,その原料である現実感をまず獲得したい.
