富について.地位や名誉から自由な人生を送れる自信がある.でも,富についてはまだ結論が出ていない.いや,結論は出ている.富よりもイエスキリスト.しかし,自分にはまだ富に対する執着が若干残っている.私にとって富とは何で,どのような存在なのか,今一度考えて整理する必要を強く感じる.なぜなら,富のための行動に時間を奪われたり,富の節約ゆえに行動しなかったり,そうした選択は不自由だからだ.
仮に富をほとんど失ったとする.すると,次なる行動は,収入内で暮らすことだ.これはわかりやすい.図書館に通うだろう,今まで買ってきた服やガジェットを今より大事に使うだろう.食費を抑えた献立で自炊するだろう.なるほどこの暮らしは楽しそうだし幸せに近そうだ.生きるためにお金を使っているのだから.では,そのような手近な幸福を捨ててまで今私は何のために富を貯めているのか.簡単ではない謎だ.
資産のために時間を使い費やしている.株式の売買,資産総額の確認,毎月の使用計画.多くないお金を守り増やすために考え行動している.今の職場を辞めない理由の一つも収入の安定である.尤も,頑張っても給与の上がらない職場なので面白いものではない.今一番やりたいことは仕事の中にはない.でも転職したくない.将来の計算が安定することによる精神の平穏が今最も貴重な財産だ.そう,富は平穏をもたらす.
ある程度の富を持つことを肯定するための理由づけではなくて,多すぎず少なすぎない富は生活を自由にし且つ安定化する.富にはそういう作用があるだろう.お金持ちには憧れないし,脱け出せないほどの困窮も二度と経験したくない.富の塩梅は年齢によって難しくなっていくだろう,でも,富を目的に動くことをできるだけ減らしていけば,大金や窮乏から免れた人生を維持できると思う.私はこれといって求めない.
