今私は36歳なので,あと30年間は働く.この見通しには健康であることが必須であるが,私が社会人になったのが26歳だから,まだ10年しか労働を経験していない.確かに16歳から26歳までの10年間は長かったし大きく変わった.しかし,36歳から46歳への10年間は,今まで以上にうまくいきたい.大きな失敗を犯したくない.そういう気持ちが湧いている.46歳の自分は今以上に稼いでいるだろうし仕事もできるだろう.
問題は,46歳の自分から56歳の自分までも現役労働者であることだ.もっと言えば,66歳の自分だってまだ現役かもしれない.社会情勢によってはそうなるだろう.つまり,あと30年間の労働が待ち受けていて,私はそれなりに変化するだろうけど,生を謳歌し続けていられるだろうかという問題である.30年間の月日で社会も環境も変わっていく.でも自分は相変わらず存在しているだろうから,どんな景色が見えているのか.
66歳以降の私は自由になっている.自分で好きなことを毎日黙々とこなし楽しむ.日課を作って毎日好きなことを長く楽しみ続けられるように食事運動睡眠に気を配り,聖書の通読などやりたかったことを次々成していく.ついぞ最後までやり遂げることはなく,かといって満足は深く,いつ天に召されてもよい気持ちで毎日を生きている.多分そんな老後を達成しているだろうから,今には大きな深い意味がある.
私は徐々に老いていく.今はまだ若くあるが,10年後,20年後,30年後と,節目に点検すると色々な老化が見えてくるだろう.その時,変化が必要になり,実際に簡単なきっかけを得て変化し,生存を継続できれば,この今も継続できるだろう.今の継続,これこそ課題だ.私はもうそれほど劇的に変わらない.でも,私の存在価値は決して無くならない.いつか私が誰かの役に立つほど有名になっても,私はこの私だ.
