ある人に一途に心酔するたちだ.高校2年の時にウィトゲンシュタインにかぶれ,ウェブサイトを立ち上げ破廉恥な考察を公開していた.その後,数学基礎論からゲーデル,チューリング,フォンノイマンに関心が羽搏き,計算機科学と出会う.同じ頃,大学の講師に感化されバイオインフォマティクスに魅了され卒業研究から大学院修了までの専攻を決めた.社会人になってウェブも礼拝も合唱団も,憧れるメンターがいた.
集計すると,私が今まで憧れた人物は30人はいる.多いほうだと思う.私がよく知り合おうとする人の9割は私から近づき叶っている.私に近づいてきた人で今も続いている人はいない.なので,私は積極的に関係を結ぼうと動く人であるとわかる.私に関心を寄せる人は多くないがその人たちをそれほど大切にしない面もあると気付かされる.得ようとするけど与えない人だ,と言われたことがあるがそうかもしれない.
今の私は憧れてきた人たちの積集合である.私が真似し取り込めた事柄の集合である.どんな人に憧れてきたかといえば,それはさまざまだ.それだけ色々な人間に出会ってきたということになる.恵まれていると思う.30代も半ばを過ぎ,人格が完成しようとしている今,これから社会に暮らす人々の役に立つ人間になるには,憧れるままではいけなくて,現実にそうであるよう努める必要が出てくる.
夢はいつまでも見て良いものだと聖書は語る.最後はイエスキリストの天国で国籍を持ち暮らすので,それが夢だというならそうだ.この世であの人みたいになりたい,というモデルが見つかれば,それを吸収し真似してみることが,何歳になっても必要な技能であると思う.年齢に関わりなくモデルケースを生きる人に憧れて良いのだし,自分から輪を作ろうと声掛けして良いのだ.知らない社会は思いのほかずっと広いから.
