きょう見たYouTube動画で,もっと幸せになっていい,という話題がある.幸せになることと脳活動を全開にすることは同値であるといい,もっと自分のために生きていい,もっと幸せになっていい,と述べられていた.自分を幸せにしてくれそうなものを見つけることを好奇心と定義し,心地よく好ましい物や体験をもっと得るべきだという.そこで私は何が私の幸せか考えてみることにした.
そもそも,私の幸せは今で充分と思っている.この考えはもう2年間は続いている.今の暮らしが続くだけで幸せを感じる.私は毎日幸せなのである.しかし,この動画の主張することは,もっと幸せになるべきだということだ.幸せに限度を設けずにもっと追求すべきだというのだ.ただし,やりすぎは禁物だと教えており,そうすると私は今のままでも良いとも思う.だが,そう言われるともう少しだけ幸せを求めたくなった.
私の幸せは知的なことと生物的な物に分かれる.前者は,本を読む時,読み終えた本が生きた知識となる時,物事を考え独特の視点を得る時,キーボードで文字を打つ時が挙がる.後者は,自分にとって合理的と思うものや美味しいものを食べた時,新しい服を着て出かける時,街を見て歩く時,友人と思いのまま語らう時が挙がる.やはり普通だ.誰もがそうだろうと思うこともある.今はそれらができている.
こうして考えてみると,もっと強い幸福を得たいと思う.今の幸福のままでいてはいけない気がしてくる.街を歩く時も街をより仔細に観察し写真を撮り溜めたり,キーボードを使ってより多くの作品を今より濃い頻度で生み続けたり,読み終えた本を複数繋げて考察しより広く知識を活かしたり,私の幸せを繋げて再構築することができそう.もっと強い幸福,これを求めて良いのだと思ったら,生活をもっと楽しめそう.
