家柄で職が決まっていて,遺伝で容姿も知能も決まっていて,神さまが人生全体を決めている.そんな決定論のもとで生きている私たち.社会が平穏無事なのもこの決定論がこの世を覆っているからだ.神さまが全てを決めていなければ,人々は戦争を続けるだろう.誰もが覇権を狙うだろう.富を牛耳るだろう.しかしそこまで激しくない.緩やかに富は集積し,権力は握られている.けれど,混迷困惑にはない.
人間たちが決めて生活している,という観念から自由になるべきだと思う.自主自律は社会の基本とされるが本当だろうか.自主性は簡単に奪われる.自律は曲がる.本当は神さまが全て治めているという現実を知るべきなのだ.人間だけでこの世を治めているというのは幻想で,この万能感は危険だ.でもこの国でこれに気づいている人は少数派だ.全てを治める神さまを知らない人がほとんどだから.
欧米では神さまの知識がこの国よりは普及しているので,人間より神さまを中心に考える.だから基本的に人間を信用しないし,自分が万能だとも思わない.感謝を持って人と会うし,別れを惜しむ気持ちも本物だ.でもこの国の人はどうだろう.自分の懐を肥やし,自分の生活がよければ,隣家の貧しさには無関心.民度が高いと言って助け合う心を掲げる割に,本心では阿鼻叫喚している.本音と建前.
この国の停滞の原因は神さまを知らないからだと思う.安いもの,早いこと,快適なことが善で,そこから少しでも逸脱する者には容赦なく非難を浴びせる.この国の人は人に冷たく人に厳しく,自分が一番好きな唯我独尊民族.神さまを知らないからである.そんなどうしようもない民族だからこそ,ここから考える視座を得られる.新聞や報道で言われる日本とは異なるこの国の真の姿を見極めていきたい.
