何のために働いているか考え直す時が来ている.もちろん労働は国民の義務だ.資本主義社会で生活を続けるためでもある.しかし,どうしてあと30年間も働かなくてはならないか.そもそも30年間も働けるのか.労働力が不足していくこの国で,貴重な労働力として役に立てることは簡単である.それでも,労働するからには目的がいる.理由がいる.それを私は充分に定めていない気がしてきた.
私の職業はWEBプログラマで,頂いたWEBデザインを実装する仕事がメインだ.きれいに分業されているわけではなく,イベントの前後はそのお手伝いをするし,出社日は広報資料や機材の管理も任せられている.明白に繁忙期と閑散期があり,今週が終わると半年以上の閑散期に入る.その間は仕事をいかに作るかが問われ,残業なし,有給休暇消化が課せられる.そういう意味ではしっかり休めるので恵まれていると思う.
ここでは詳しく書かないが,職員の気質や組織風土が昭和的で,例えば依然として年功序列である.これを目的に入社する若手もいるので,変更はされないだろう.努力しても昇給はしない,勤続した人だけが昇給する.また,上下関係を明確にして動きたい人が多いので,機動性や即時性はない.仕事を常に抱え込んでしまう無計画な職員もいて周りが振り回される.細かすぎる管理や臨機応変すぎる指示に困り果てることもある.
どの会社でもある風景かもしれない.完全な人間などいないから,我慢するのが筋かもしれない.忍耐は練達を生むというし.指示通りに行わないとさらに注意指示を受けるので,ほとんど機械的に考えて動いた方が楽だ.そうすればどんな指示も言葉も刺さらなくなる.神さまは人格を愛すが,人は外見と言葉しか見ない.こう割り切って神さまの方に向き直れば,労働に関しても救いが見つかるかもしれない.
