私は勉強ができた人間だが,その内容を社会では評価されない.勉強は社会では役立たない,と考えることは簡単だ.勉強は学歴程度しか有効ではない社会だから.学歴は勉強したことを証明するが,それ以降の保障はしてくれない.欧米と異なるのはこの学問を無用にする点だ.大学が社会で役立つ労働教育を全くしていないことが原因だが,そもそも学問って社会でどう役立つか教えられる教授が多分少ない.
ある数学者の文庫を愛読している.仕事を渋滞学でみると,どう仕事を進めるべきか見えてくるという本.職場の机の上に常備し,何か悩みそうになったら繰っている.この教授は数学を社会に役立てようと考えている希少な研究者だ.昔この教授の研究室の門を叩いたことがある.1次試験は通過したが,英語の資格が不充分で入学は許されなかった.でも私はこの先生を陰で尊敬している.
このように学問を社会で役立てる道はある.研究者になれば嫌でも役立つことを生産させられる.私は研究所のWEB担当なので,技術がすぐ役立てられる立場にある.しかし大学でWEBを習ったことはなく,そういう講座は当時ひとつしかなく,それもCGIについてだった.だからほぼ独学でここまで来た.今入学すれば初年次からWEB開発の課題が出るそうで,大学も先見の明があったわけではないと感じる.
勉強ができる人は,会社でも一定の評価を得る.努力でき,地頭が良いことは,どういうわけか好感を持たれる.私は義務教育をきっちり修めたので,その良さは残っているが,それ以降が駄目なので積み上がっていない.でも,地頭が良いことは会社でも認められ,自分でもそんなものかと思っている.勉強ができたことは社会で評価されない.そういう教育の国だ.勉強ができなかった人よりは楽に生きているかもとは思う.
