人には,その人の人格形成を決定づけた基礎的体験があるはずである.だから,ある人を知ろうと思ったら,その人の人格を決めた出来事を洞察するべきである.履歴書にわかりやすく整理されている場合もあれば,その行間からただならぬものが滲んでいる人もいる.世間では好ましいとされる価値観も,別の人にとっては厄介な性質だと捉えられることもある.人間は一筋縄で測ることができない.
イエスキリストを知る人は,人格が完成している場合が多い.これはなぜか.聖書に真理が書かれているからだと思う.よく知れば知るほど,この世から自由になる.そして,この世でもうまくいくことが多い.この世から離れてしまうことに関しても,長い目でみれば成功だったと思い至る.神さまがひとりひとりそれぞれの人生を全て決めているので,人間はそれを後から知るしかできない.
人格の多様性は,日本で持て囃された個性教育の結果である.でも,本当は好ましい個性など多くない.大抵の好ましい個性はほぼ同じ,法則が見えるくらい同様である.つまり,そこから外れた個性は多かれ少なかれ,誰かの迷惑になる.誰かを蹴落とし,誰かの人生を潰しにかかる.戦争が人間の常態だから仕方ないが,これでは愚かではないだろうか.日本人はもっと神さまを知るべきだと思う.
私の基礎は,教会に通い続けた9年間の説教から成り立っている.その次が漢字の学習に費やした3年弱.そして,学業を曲がりなりとも修めた7年間であろうか.私とはこのいくつかの基礎の混合である.履歴書からは見えない.人間の心の内など誰も見ない.人間性を即断する者はもっと神さまを知って人間について知るべきだ.もし上司がキリストを知らないと言うなら,その言動を信頼してはならない.
