何のために大学で学んできたか.この答えを明確にしておきたい.一般的には就労に役立てるためである.今の職業で働くために学んできたのだと.でも,私はそう思いたくない.今の職場で働くために学んできたのではない.これは私にとって重要な視点だ.なぜ今の上司の役に立つために何百万円のお金と10年近い時間を投資してきたのか.冗談ではない.このことから私は働くために学んできたのではないことがわかる.
では何のためか.私は入学当初から大学には期待しなかった.研究は自分で行うものと腹を括っていた.模試で成績が良くても,最高学府には関心がなかった.全国でも真ん中くらいの,入学が難しすぎず学生レベルもそこそこであろう大学を選んだ.結果,ひとりで研究するにはなかなかの環境だったように思う.大学入学前に障がいを負ったが,この病には良い面もあったように思う.両親には迷惑をかけたが.
それで,この苦労が報われるとも思わない.報われなくても構わない.私の中では,研究において納得する結果が得られた.15年間考えてきて良かったと心から思う.それに今はクリスチャンになれた.信仰を持った.ここに至るまでのストーリーが私の人生の宝物となった.私は満足している.仕事のために生きているのではない.仕事は2〜3割の力で頑張れば充分で,収入もそこそこで充分だ.
世の中では,将来収入を得るための大学受験である.最近はまた少し異なるようで,そもそも大学にこだわらない人も多いと聞く.私も,誰かが国立大学出身でも驚かないし,正直なところそんなものかと思うだけ.仕事ができる人を見ても同様で,そんなものかと思うだけ.人生において仕事が大事だと思う割合が低いのだ.この認識を得るために大学で学んだのだと思う.暇を退屈せずに過ごせること.これは教養の定義である.
