自分であるには一貫した記憶を持たねばならない.過去がどんなに乱れていても,一貫した物語を持たねばならない.私は断片的な人間だから,環境や場所によって適当に振る舞ってきた.でもそれでは自分を理解することもできないし,会う相手に失礼になるのかもしれない.私の過去を話しに整理する作業をしていきたい.それは簡単なことではない.今まで無頓着に,散漫に,生きてきてしまったから.
私の心にはいつも逃げる場所がある.自殺である.20歳の誕生日の3日後に私は自殺未遂し逮捕された.私は既にその歳で消えたかった.消えたいと頻りに願ったのである.それ以来ことあるごとに自殺を企図し,警察に保護されたりしている.今も死んでしまえば問題は解決すると考えることがある.例えば,空の浴槽で腿に包丁を突き立てた後に抜けば良いのだ.渾々と流れ出る血液.薄れゆく意識.
私の20代は自殺願望との戦いだったから,その時代にできた知人は一人もいない.普通に考えて誰でも離れていくだろう.高校の知り合いもいない.進学校をわざわざ転学しているのだから級友には印象が悪いだろう.両親には迷惑をかけたが,今でも嫌いである.不孝であるが,もう実家には帰りたくない.特に母とは疎遠になりたい.36歳の今になって20代を振り返ろうとしても,記憶が飛んでいてうまくできない.
語るにはそれなりの楽しい思い出がいる.語ることが楽しい人はそうだろう.でも,語ることが辛い人だって世の中には多分たくさんいる.思い出すこともできない人.思い出を持つにはそれを持つのが楽しいことが必要なのだ.私には楽しいと感じる思い出がない.だから,記憶を縋り取って,これから探さなくてはならない.楽しいとは何だろう.私は何を楽しいと思うのだろう.自分と対話する必要がある.
