今この日本の経済は良い方向に語られない.未来に渡り決して成長しない国になった.しかし,生活の質は高く,食事や移動や住居事情も含め満足できる.貧富の差が世界的に拡大するこの現代で,この日本の成熟化は世界的に見ても特徴的で,そこには独自性のある経済傾向が見える.それを「均富論」すなわち成長より継続を目標とした生活の均質化をもたらす経済と読む論理である.これは一種の平和である.
均質化は消費社会と情報社会がもたらした.バブル前後にコム・デ・ギャルソンの革新が記号として消費されたことで全てが記号化し,YouTubeで消費される知識情報の価値がほぼ無償になった.誰でも新しいことをやろうと思ったら,たとえそれが成功しても,数年で記号消費され忘れられる.どんなに新しい画期的ビジネスであっても,10年と保たない.それが消費インフラによって今起こっている経済現象だ.
だったらこの流れは止められない.私も好ましいと思う.従って,この流れを抗わず肯定した方が余程考えやすいのではないか.この動機から均富論を思いついている.国民が平均的な収入を得る人ばかりになれば,平均の暮らしを享受できる.そしてその平均の暮らしとは大多数の人たちの営む暮らしのことで,平均的な収入があれば誰でもそこに落ち着くという暮らしのことだ.それは貧しくない.
貧困に困窮している人たちの暮らしを平均まで引き上げる.これが達成できれば世界で最も住みやすい国になる.貧困者がいるから富裕層は不幸になる.富を失う恐れと戦わなくてはならない.そうではなくて,平均的生活が保障されれば,働ける人は働き,休みたい人は休み,遊びたい時に遊べる社会になるのではないか.社会論や政治論が出尽くした今,平均的生活を供給する役割ほど,国家に期待されることはない.
