私には多分,常に考えていたいという欲がある.なぜかといえば,常に何らかの文字を浮かべていたいからである.自分にとって新しい文字の組み合わせを自分で考え出すことが,無上の喜びである.例えば,この部録の記事は英単語を2つ組み合わせたり,1語を造語して充てているが,その組み合わせを自分で作れることが,この部録を続けている動機である.記事の本文に自分で考えた文字列を連ねることもまた喜びである.
何かを考えるように心がけていると,意識に文字が浮かんでくる.例えば,歩いている時,ある単語と単語の組み合わせを思いついてそこからひとくさりの話しが続いて出てくる.帰って書斎でそれを文にする.そうすると,どんな本にも収録されていない文章ができる.それを日々残すことがこの部録活動の本体になる.これは私の生活で今や最も大切な活動になっている.生きがいであり,芯であり,軸である.
この部録には読者が3人いる.そのうちの1人が私自身である.いつも読むのを楽しみにしている.というのも,書いてしまうと内容を忘れるのである.しかも,書いている時に意味していたことと.書いた後読んで理解した内容が異なるのである.だから,いつもこの部録の記事は,自分でない人が切り取って書いたもののように,私には感じられる.私は自分で考えたいくせに,考えたことを理解も記憶もしていないのだ.
この部録の記事は,4段落構成にするほか,制約は特にない.時々箇条書きの構成にすることもある.だから自由に書いている.これを誰かに読んでもらおうとは全く考えていない.なので,お金にはならないし,話題にもならない.でも,そのひっそり続けているというのが良いと感じられ,誰かに紹介したいとも思わない.単に私の脳が生み出した一時的な文字列を保存する仕組みとして運営しているだけである.
