洋服の整理が終わった午後,ドビュッシーのアラベスクをリピートで聴ける動画を流しながら,イギリスの階級意識に関する本を読んだ.いわゆるカルチュラルスタディーズの本だ.大学時代に私の学部学生の間で流行っていて,アラベスクは当時よく聴いていたものだから,この符合にしばし苦々しい思い出を重ねながら,しばし眠りにも落ちていた.当時の思い出の多くが私の無知による苦いものに今では変わっている.
イギリス社会にはミドルクラスにもアッパーとロウアーがいるという内容.私の大学は日本では有名な国立大学だが,当時の私はそう言われてもその重要性も意味も理解しなかった.なぜなら,私にとっては受験勉強をほとんど全くせずに入った大学だったので,この大学の学生は進学校の落ちこぼれか高校に入ってから勉強を頑張ってきた中くらいの学力の持ち主だろうという偏見が,結局卒業しても抜けなかったのだ.
私は同級生を自分と同じくらい軽蔑していた.その人たちの知性の真価を見るのはもっと後になってからだ.これを理解しなかった己の無知をまず後悔している.そして,今では大学助教として職を得ている研究者志望の同級生を,異性関連で無碍に扱ってしまったことを何より後悔している.極めて失礼だった.私と一切研究の話を持ちかけられなかったのはそのためだと思っている.研究は共同でやるものだからだ.
結局,私はこの大学で数理科学の本を夜通し読む生活を送ったわけで,数理科学のあらましをほとんど知ることはできた.それはひとりで行ったことに過ぎない.他の学生は賢明にも生涯の友人を作り,企業研究をし,公的資格を取り,立派に巣立っていった.私の歩みとは大きく異なる.それが素晴らしい道だと気付くのが遅過ぎて,未熟な学生時代を今は恥じている.道を外れた人生を味わうしか残されていないわけだ.
