お金のかからない子供だった.両親とも言っていたのでそうなのだろう.本を大学ノートに書き写すことに熱中していた.漢和辞典を繰り返し読むことも好きだった.夜は天を見上げて星を探していたものだった.風呂では何でも暗記し大人顔負けの記憶力を発揮していた.ボードゲームを作って友人を遊ばせてもいた.幸福な少年時代.ここから,幸福にはお金が必要ないことを学んだ.人生で最も大切なことのひとつだ.
高校生になると,イベントでお金がかかるようになった.私はお金をかけるくらいなら申し訳ないと思うようになった.ケチなのではない,お金のかからない遊びをしようということだ.葉っぱを観察したり,風をスケッチしたり,夜の公園を散策したり.お金のかからない遊びをたくさん知っていたから,街に繰り出してカラオケとか外食とか,部員で旅行とか,私には楽しめる遊びではなかった.
文字を入力できる端末が与えられた学生時代は,またそれで楽しい遊びが増えた.部録である.どんなに忙しくても毎日数記事書いて公開していた.考えてみればこの習慣は今も続いている.父から与えられたワープロのお下がりは,小説というか文字列で埋め尽くされた画面のまま故障した記憶はあるが,それからどうなったのだろう.今はドメインも借りてこの部録を続けている.WEB開発は仕事にもなった.
お金をかけずとも楽しめる私らしさは,今も引き継がれている.家賃は妻が負担してくれているおかげで,月の生活費が10万円以内で済むことが多い.お金をかけすぎると楽しめないという負の習慣でもあるけど,今の収入で十二分に満足できる性質は得である.近い将来,競争や重責を避けつつ勤続する作戦を練っているところなのだが,生活費が低いという属性は便利だ.幸福をしっかり捉えて外れずにいられるからだ.
