毎日たくさんのことをやっているのに,やった感触が少しも得られないのは何故だろう.きょうは仕事で動画編集,音声編集,お問合せフォームを作った.退勤後,ワセリンと日焼け止めと台所用品を買いに行った.会報印刷の発注をかけたし,ホホバオイルでヘアパックもした.キーボードで合唱団の課題曲を歌い,自分の声を録音して音程を確認した.YouTubeを見た.食事も全2食自炊した.なのに,なぜか印象に残らない.
強い印象を持たないことばかりやっているのだろうか.そうでもない.今書いていて思い出せたことばかりだ.ひとつひとつは1日で終えられるくらいのボリュームで,毎日同じくらいのボリュームをこなしている.つまり毎日これくらいのことをやり遂げている.しかしながら,私はこの1日で得たことといえば疲労と興奮でしかない.意味や満足は得ていない気がする.それらは1日で得られるものではないのかもしれない.
また,得るという考え自体が違う気もする.むしろ失う日の方が後で有意義にできるからだ.何かを得てばかりでは自分の殻を破ることができない.殻を認識できないから.でも,失えば,自分の限界が半ば外から見えるので,またその隙間を埋めるべく活動を再び始められる.そう思えば,日々から得ることが何もなくても,むしろ毎日失ってばかりでも,そのほうが今後の人生を有意義にできるということになる.
失うために活動する.これは買い物の目的定義である.失ってこそ,意味がある.人間は得ることが多いほど満足して行動しなくなるのではと思う.すると,自分の拡張性が閉じて満足は根を下ろす.しかし,その満足を失えたら,また新たに活動せざるを得なくなる.経済活動も同様の原理で動いている.失うとは,得たものを無効にしてさらなる満足を欲すること.人間の活動とは愚かしいが創造性に富んでいる.
