名言家でもあるタモリが,教養はあるに越したことはない,と述べている.なぜかといえば,教養があるほど遊べるから.暇がなくなるのだ.これを読んでまず思ったのは,私も音楽の教養をもっと持ちたい,身につけたい,音楽の本質的思考力をつけたい,ということだ.表面をなぞるくらいの理解力と実力では,遊んでもあまり楽しくない.もっと楽しめるくらいの音楽の教養を持ちたいと思った.
まず,音符を読めるようになりたい.音程と音の長さをすぐに取れるようになって,旋律をすぐになぞることができて,鼻歌で口ずさめるようになりたい.これだけで大いに遊べるようになれる.次第に,レガートで歌えるくらいの,礼拝における讃美歌と同じくらいの声で,色々な曲を歌えるようになりたい.しまいに,例えばベートーベンの歌曲集を全て空で歌えるような,そういう種類の教養だ.
きょうは仕事終わりに,明日の合唱団練習のために,ドイツ語の発音やレガートの練習をした.YouTubeに私の先生がいるので,動画をみながら練習した.自分の歌声を録音して聴くように言われているが,自分の声が嫌いになるので実践していない.その代わり,音符の基本(高さと長さ)を丁寧に取れるように楽譜を見る訓練をしている.自分はまだそのレベル.終わると,シュライヤーを聴いた.
私は宣言する自信がある,私には死ぬまで暇がない.もうやろうと思うことが次から次に思い浮かび,やっているととても一人の人生では覆いきれない量だとわかる.削った方が良いのではと思うほど.でも,今はまだ多くを少しずつ齧る時期と決めて,興味の移る方へ動いている.それこそ教養を身につける姿勢だと思うからだ.好奇心の赴くまま行動すれば,本物の教養が得られると思うのだ.
