書斎の音楽机からキーボードを取り去り,代わりにMacBook ProとiPad Airを配置した.その脇には解体したNature誌の背番が10cm×2段.壁際の隅にはまだ楽譜が30cmくらい並んでいるけど,YouTubeで聴きながらこれから少しずつ眺めていく.机の高さがキーボードを弾くために低くしてあるので,明後日の4連休中にもう少し上げて,端末で文字を打ちやすくしたい.今の高さでは腰が痛くなるだろう.
私には趣味が多すぎる.多すぎて問題になっていたほどだ.どれも風変わりな趣味だ.今はNature誌の背番を全て読み切りたい野望を持っている.楽譜をYouTubeで聴きながら眼で味わいたいと思っている.眼に浮かんだ図像でCGを作りたいと思っている.どれも私くらいしか楽しまない方法である.でも,私はこうしたことで楽しめる人間である.それはなかなかないこと,素晴らしいことであるように思う.
私の趣味が変わる時,それはやり尽くして飽きた時である.大抵は辞めてしまうのではなく,もっと違った角度から深めたいという欲動が働くのである.今までも全く飽きてしまったことはない.昔辞めてしまったことも,ずっと気になって情熱が燻っていることはまだいくつかある.それほど私は持続力がある.短距離走より持久走の方が得意なタイプだが,執念深い面もあり,持続することは得意だ.
音楽を辞めたいとは思わない.合唱をしばらく休むにせよ,違った角度から見直して楽しめる方向を見つけたい,そう思う.今まで指導された経験を整理して存分に味わう,それだけで身につくものは多いと思う.つまり私は今まで振り返ることが少なかったのだろう.経験的に,離れて分かることは多い.高校を転じてから授業のありがたみが分かったように.かつての若い苦さが,今蘇ってきている.
