英語に関する強迫観念が強い.日本語以外の言語も使えるようにならなければ,というものだ.仕事で使うわけではないし,趣味で使っているのでもない.Nature誌を読む時か,英語のウェブサイトやツイートを読む時,そのくらいしか使う場面がない状態が数年は続いている.勉強しようにも強い動機が持てないでいる.実際に勉強を始めたらかなり身につくと思うのだが,それを証明する機会が今はない.
英語の本を読みたいという理想はある.実際,3冊のペーパーバックを持っている.数ページは読んだ.Nature誌は読んできたし,過去の記事を読み捨てることもしてきた.英語でものを書くこともしたかったが,表現したいことがないので余り続かなかった.言語の学習は主張したいことがあるから続くとよく聞くが,私には言いたいことも表現したいこともない.日本語さえ使っていないかもしれない.
読むことには長く付き合ってきた.英語は不自由なく読める.高校3年で英検準1級に合格し,学生時代のTOEICはスコア720だった.不自由はしたことがない.でも,今や読むだけに特化した私の英語力は,何かの試験にかければ高得点を取れるものではない.英会話などもっと酷いだろう.簡単な会話でさえ,日本語でも普段やっていないので,もし学んだとしても,英語でもできる,とはとても言えない.
語学は実際に使えるかという視線で試される.私には言語を豊かに使える自信がない.英語に限らない.母語もそうである.だから言語には関心があるのに,語学を学ぼうとする強い動機が得られないのだ.例外的に,読むことはしたいと思っている.書くことにも関心がある.この読み書きのために学ぶのは,こつこつと続けている.しかし,話したり主張したいという鋭い動機は今後も一生ないかもしれない.
