幼い頃,私は人見知りだった.人と話すことを嫌がった.今も人と好んで話そうとは思わない.けど,今の私は人見知りではない.同じように,昔の私の性格だと思っていたことのほとんどは,今の私に引き継がれてはいない.その理由は,学ぶことを知ったからだ.性格も学べるとわかったからだ.真似すれば自分もそうなれると経験したからだ.大人になって,本来の個性,自分固有の性格ができてきた.
自分がどんな性格の持ち主か,今は語ることができない.形成途中だと思っているからだ.将来にわたって変化するとも思えないが,今は変化している,このことは認めている.20代の私と違って,今の私は慎重だし,忍耐強くなったし,原因や時間など論理的に思考して生きている.感性を磨かれる機会が減ったからか,自己主張は抑えるようになった.年長の大人の良さを理解できるようにもなった.
成長に伴って性格は変化する.もし自分の個性を生涯にわたって保つ人がいるとしたら,よほど恵まれた境遇に生きた人であるか,学ぶこと真似することを経験しなかった人だと思う.それが善い生き方かといえばそうは思えない.人には到達する性格が年齢ごとにあって,もしその年齢を善く生きたのなら,課題を達成したようにその性格を獲得する,人の性格とはそういうものだと思う.
私は20代までは愚かに生きてきた.イエスキリストを知らなかった時代だ.教会に行き始めて,正しさや清さや善い生き方を学ぶようになった.今では望むところは自然にできるようになった.いくら大学で勉強しても,神さまに感謝できないようでは,人として意味のない学びになりがちだ.人間は不完全で,よく誤る.自分の判断に欺かれることも多い.そんな人間性を踏まえた賢い大人になりたいものだ.
