富の重要性が遠のいた1年だった.実はもう年金が65歳受給で毎月12万円もらえるようになった.iDeCoも,今の設定で1,000万円は作れる.制度や事情は今後変わるけど,老後の暮らしに困る状況から脱せた.というのは,もう服を買い込むことはしない.誰かが私の服を覚えていることはないから.そして,人生の根幹を数理の研究に置くことに決めた.文献は手元にあるので,新たに多く買う必要がない.
今まで何の目的もなく資産形成していた.将来何か使いたいこともないし,欲しい物もない.使う機会といえば株式を買い増すことだけだった.そんな生活を続けて振り返ってみると,私は自分の人生であまりお金が必要ない生き方を望んでいることがよくわかった.お金がそんなに必要ないのだ.本気でそう考えている.これに気づいてから,募金や献金を増やしたし,贈り物もし,妻に送金するようになった.
お金を使うことに喜びはない.物を買うことが人を幸せにしないのと似ている.経験に使っても私なぞ忘れてしまう.喜びを増すのは思考と知識と信仰である.私はこの生き方を選ぶ.観想と敬虔.セネカやヒルティの思想が私を決めた.世に溢れる富の誘惑を断ち,一切の思惑を切り捨てた時,真に望ましい人生が開けた気がした.そう,私が望むのは世の多数ではない.むしろ相当な少数派,真の自分の生活だ.
なんて幸福だろうか.37歳にして真の人生を見出したのだ.主に感謝しよう.私はこれだけあればもう充分だ.むしろ溢れるほどだ.今まで考え続けた経験,悩み抜いた経験,見て広げた経験が,こうして生き方に結実したのだ.全て無駄ではなかったと思える.富や名声や栄誉を求めるべきでない.主がすでに与えているからだ.現代は生きづらい世の中だと言われているが,私の生き方は確実なものになった.
