今朝,夢の中で「清和のテイカン」という語を知らないのかと父に質される場面があった.テイカンとは「添漢」で,日本語に漢語を添えることだという.起きて気になって検索してみた.そんな言葉はない.でも,清和の添漢という言葉はあったように心の中では思える.父には歴史のさまざまな話を聞かせてもらって育ったからだ.それによって掻き立てられた想像によって,勉強を苦と思わず,今も生きている.
父に育てられて幸せだったのだと気づいた.私は都心郊外の住宅街に育ったので,自然が豊かな環境ではなかった.しかし,天文や漢字や幾何が好きな小学生で,父はそれを伸ばすよう教育した.父は現代史が専門の教師だったので,古今東西の歴史の話を就寝前に聞かせてくれた.藤原定家シリーズとか.おかげで私は授業を聞いてもイメージがつくので理解が深かったろうし,成績も苦労せず常に高かった.
今,数理科学を生涯の趣味にすると決めた.大学生になる前から大学生の頃,大いに動機づけられた学問である.私は物理学科でも数学科でもない.なぜかといえば,父に「将来の趣味にしなさい」と言われたからだ.父はコンピュータ科学は潰しが効くと予見し,私に情報科学の国立大学を勧め,学費を出してもらう代わりに私は入学した.でも,私は数理科学がやりたかった.ずっとそう思い,今もそうなのだ.
趣味は人に言えないほど良い趣味だという.私の趣味も人には言えない.数理科学の良さを理解してくれる人や話が通じる人が現れるとは期待していない.それで良い,一人で進めたいからだ.趣味は一人で行いたい.実力がついて思いが溢れてきたら,部録を作って解説するのも良し,arXiv.orgで最新論文を読み始めるのも良し.私の望んできた趣味はこういうことなのだ.人生,実に面白い.
