全体を見て行動せよといわれるが,全体を網羅したいというのは満たされない欲求のひとつだ.細部に詳しくなれば誰も知らない仕事を任せてもらえる.ほんとうは知識は細かいほうが役に立つことが多い.しかし全体を知り尽くしたいと思えば,無限の向学心が培える.全部を知り尽くすことは遠大な目標だからだ.
全部を網羅的に知れる枠組みは存在する.哲学にはすべてが詰まっている本がいくつもあるし,物理数学では万物を数学でできているとみるのでどのようなものも幾何の配合として考えることができる.これらの方法に精通することはできる.しかし全ての情報を網羅して読み切ることはできない.
全体を知りたいという思いは全ての文献を読み切ることではないのだ.全ての情報を集めることはできる.しかしそれを全て読み切るには,内容の要約を人工知能で抽出して読む量を減らすことが,少なくとも,必要だ.脳に直接情報を埋め込むこともできるかもしれないが,情報の多さに脳は狂れるだろう.
集めたものを全て管理したい思いが芽生えたら,昇進も近い.裕福な物持ちは脳で管理できる量が少ないことを知っているので,多くを持とうとしない.ただ情報は簡単に大量に持てるので少し事情が異なる.裕福な情報持ちは読んだ内容を複製し,まとめておく.情報はたくさん所有することができる.どうすれば全て知れるか考えさせ,網羅欲を掻き立て続ける存在なのだ.
