人生のほとんどは,ひとりで過ごす時間である.それゆえ,自分でその時間をどのように過ごそうが,本来は自由勝手なものである.勿論,生活や利害を共にする人から言われたことを聞かないわけにはいかない場合もあろうが,基本的にその言葉やその人から離れたって本来は自由だ.自分の人生を自分で決めていくのがこの社会でも公に認められた権利である.その分,それに伴う痛みは自分で負うことになる.
人が何のために生まれて,何に従事し,何のもとで死んでいくか,そこには自分で決めることができないこともある.理由がわからない状態が続くかもしれないし,自分で意志した通りにならないこともある.自分の思うように進められることが全てではないのが実情である.それでも,人生すなわち時間の過ごし方は自分で決定でき,自分で決められない状況にもどのように対応するか決めていくのが人生だろう.
いくら自由を謳歌したいとはいえ,自分で何もかも決めて思い通りにことが運ぶことが幸せとは限らないだろう.自分では考えも予想もできなかったような事象が身に起こるからこそ,人生は豊かになる.新しい出来事と習慣化した物事のバランスが人生を成す.その集積である経験や価値観は皆異なっていく.その異なる財産によって,人々は互いに集まり,さまざまな関係が生まれ,多くの繋がりができていく.
人生に直面する出来事は,神がそれぞれに与える.そして,それらが異なるからこそ,人々は互いに集められる.これは神の精妙な配合である.同じ人間がいないからこそ,人は動き,繋がり,経験を蓄積できる.人生の最期に残る財産は思い出であるという.思い出に求めることは,量でも強度でもない.苦い思い出も辛いものであっても,喉元を過ぎれば財産になる.何があろうと神が私だけに与えたものなのだから.
