学生時代に数学が好きだったのも,クラシック音楽などの芸術を愛していたのも,哲学書や科学書を読んでいたのも,世の中と距離を置きたかったからだと思う.世の中の価値に染まって世間知で世を渡って生きることが愚かしくて嫌だったからだと思う.それゆえ就活をしなかったのも,今低収入の軽い仕事を選んでいるのも,クリスチャンになって毎週礼拝を欠かさないのも,筋の通った一貫した理由がつく.
私は世の中を離れて見ている.この世的な価値を重視しないで生きている.その代わり,周囲にいてくれる人々の苦しみや悩みの相談には進んで乗るし,お金や家電や食べ物に困れば惜しまず買って与えるし,収入を自分のために使わずに募金や献金に充てている.その行為が高尚だとかいうつもりはない.そのほうが私が幸せだし,神さまも喜んでくれるだろうと思う.この世ではなく神さまを信頼している.
この世は不完全で,愚かな人間が動かしているだけのものだ.そんな社会を信頼することはしない.信じたところでいいことは起こらないだろう.お金を多く稼いで持っていたり,好きな仕事に就いていたり,仕事や投資などで成功したり,という人の喜びは,いずれもこの世的なものに過ぎず,一時的なことであり,長い目で見れば悪を助長するだけのことだ.この世で苦労しても得るところはあまりに小さい.
いっそこの世から離れて暮らせれば,幸せが近づく.私は若い頃からそのような人生を求めた.ストア派の哲学や隠者の知恵や老子の思想を読んだものだった.しかし,私には今イエスキリストがいる.この世を求めず神を求め,全てが与えられる生き方である.私が求めていたのはまさにこれである.この世のことはどうでも良い.どうなっても大丈夫だと思える.イエスキリストがいればそれで良いのである.
