私は漢字の読み書きや筆順に正しさを求めない.それどころか,新しい漢字を作ったり,熟語や意味を作り出すことこそ,漢字に堪能な人に考えてほしい.過去の賢い人が考えて作った文字である.その伝統を踏襲する向きが強いなら保守である.漢字における革新とは,言葉の新しい用法に新しい意味を認め,新しい字形を新しい筆法を新しい熟語を記録し,言葉を変化し続けるものとみることだ.辞典はその時代の歴史の記録である.
性格柄,よく校正を行うが,仕事以外のときはそのままにしている.誤字には筆者のものの見方が表れる,そう思うと興味が開ける.この方法は作者には恥と汗とで堪らない,作品鑑賞の常套である.ほんとうは意味まで考えずに,そう書くものだから書いただけだろう.でも間違って覚えたところに子どものころの思想が埋まっているものではないか.作者も気づいていない感覚の記憶が書き換わっていない,考古な場所である.
中国語で文を書いてみたいのだ.中学生のとき中国語文法と文字を勉強したので,たいがい意味は分かる.間違っていると指摘されるかもしれない.それでも中国のサイトでブログを作りたい.書きたいことは,いままで書いてきたことを中国語に翻訳することと,日本語を中国語で説明することができればと思っている.中国語入力用のキーボードを見たことがある.考えておきたい.
以前に漢字のサイトを開発しようと計画したことがある.その字をめぐって絵と一行解説を挟んだものである.意味をみると絵が浮かぶので,ペンタブレットで一字ごとに絵を描いていく,という大事業だった.サイト構築は中断中であるが,現在も造字や造語を行っている.造字は100字を超えている.造字サイトをまず作ってみるのも佳い.漢字業界に創造性を持ち込みたいものなのである.
