きょうは有休,4連休の最終日.何をしたわけでもなかったが,無駄に過ごしはしなかった.老後の私の典型的な1日だったように思う.ずっと書斎にいて外出はせず,YouTubeで各教会の礼拝を視聴し,聖書を少し読んで自分の来し方行く末を考え,粗餐だが栄養のある食事を摂った.退職後の私はきっと,近所に借りるアパートの小さな部屋で,きょうと同じような1日を送るだろう.昨日もそうだったが,きょうも幸いだった.
将来の自分を想像する必要がなくなってきた.なぜなら,今の自分が将来と地続きだという可能性が高いと思うからだ.将来の自分が今と大きく異ならないだろうと思うからだ.将来の私も相変わらず今とそう変わらない食事をし,習慣を持ち,趣味で過ごし,支出し,思考し,行動しているに違いない.そうでない人生を考える必要がなくなってきたということでもある.今の人生に満足しているから,こう思うのだろう.
明日からまた仕事が始まる.喜んで働くわけではないが,いやいや出勤するのでもない,ニュートラルに費やす時間.何かを得られているようで,何かを差し出しているようで,何かを確かに交換しているが,何を以て取引しているか明確でない.労働は義務で,健康は本分で,趣味は重要だ.平坦で楽なこの道は,振り返れば凸凹を舗装した道だ.懸命に考え,苦労して均されたものだ.私は充分に頑張ったのだ.
これからは,より余裕が出てくる.さまざまな面でゆとりが得られる.人生を楽しむ余地が広がる.もう今後は余生である.きょう1日の過ごし方を数十年続けるとしても,私は満足して過ごすだろう.物足りなくなれば自分にできると感じた新しいことを始めるだけだろう.それが私に与えられた人生の幸いなのだろう.幸福とは到来である.人生は天へ続いている.残りが少なくなるほど,天は近づいてくれる.
