本と服が,適正量を超えてしまっている.自分で持っているものを覚えきれていないからだ.本は買って置いているが読む時間がない,そんな本が200冊はある.服も同じ服を知らずに買っている.本も服も整理し不要分は処分したはずなのに,まだ多いのだ.どうしたものか,もっと思い切り手放すべきなのか,しかしこれ以上減っては文化が損なわれる恐れがある,でもそれは本当か,そうでもないのではなかろうか.
面白い本や話題の本,トレンドの服は少しずつ買い足してきた.それで役立ったと言える場面はあった.その1回や2回のために数千円を払うのもそんなものかと思いながら,文化に対する消費はもっとするべきだとの考えがありここまで持ち物が増えてきた.あまり思い入れがないのかもしれない.あるいは,持ち物が多くなるとそれに慣れてありがたみが薄れるのかもしれない.つまり生活レベルが上がってしまっている.
減らすことは善である.今の自分にとっては特にそうである.自分の持ち物を減らすことに精を出し,買い足したり増やしたりすることには極めて慎重になる,これが今後20年間の行動規範だ.20年間を今の持ち物で過ごすと考えたい.別にこれといって文句が出ない.ならば余程の理由がない限り,本も服も買い足さなくて良いのではと結論できる.今持っている本や服で楽しめれば,新しい本や服を求めなくて良いのだ.
実は私が持っている本も服も,古典的でベーシックなものが多いのだ.すぐに価値がなくなるものではない.ずっと使える本や服なのである.従って,私の知識も感覚も今の私の持ち物で定義されると考えて差し支えない.私はこういう人物だ.これ以上変更を加える必要はあまりない.なぜならまだ追求し尽くせていないから.知識も技術も,着回しもセンスも,今の持ち物からまだ体得しきれていない.そう考えている.
