大学が嫌だった.入学する前から大学という場を警戒していた.高校生当時は大学生になることをも拒絶していたほどで,学力が勿体無いと説得されたものだ.大学で勤めることは絶対にないように行動した.研究したかったので,普通なら大学に残るために努力するが,私は大学以外の場で研究するために策を練った.結果,今は研究所の職員として在籍しつつ,在野すなわちウェブで研究成果を公表する形で活動できている.
大学には案の定,嫌な人がたくさんいて,そもそも雰囲気,いわゆるアカデミックな空気が全く好きになれなかった.特に私の大学は学園都市だったから,街が大学を中心に設計されていた.教員の中には今思えば人格高潔な人も幾人もおり,当時はそうと見抜けなかったが,蛸壺学者もいたし鼻柱の高い傲慢な人間もいた.彼らがどうといいたいことはないが,私はそんな環境に耐えられないことは確かだった.
社会やメディアは科学研究を贔屓する割に内容を理解しようとしない.科学技術の保有者を専門家として雇用するものの,隣の技術について知ろうとしない.専門家同士の協働が叫ばれているが,どのように交流したら良いのかもわからない.自分のできる仕事をこつこつ取り組み仕上げることが研究でも技術でも大切で,この基本を疎かにして成果を上げることはできない.成すべきことを成していくだけである.
確かに科学のもたらす認識に快楽はある.技術が促す未来展望も常に興味深い.その両方を理解できるからこそ,私も今まで科学技術に関わってきたし,関わりたいと思っている.私の行動の全てがそれを源泉としていると言っていい.こう考えると,私の考えはまだよく整理されておらず,複雑なままで矛盾が唸っており,人に話せる程度ではない.方針が定まるくらいは考えを深めておきたい.考えが足りていない.
