私の高校生活は幸福な時代だった.悩み苦しんでばかりだったが,最も感覚が優れていた時期で,今もその時の感性を思い出す時,いつも幸福な情景が思い出される.よく歩いた上野・御徒町・神田周辺の街並みが今でも鋭い感覚と共に焼き付いていて,色々な人と話した思い出も付帯している.将来に対する芸術的な展望を抱いていた.これからの人生を芸術と共に生きるのだと固く決意していた.若い時代の群像である.
今の生活は芸術に満たされたものではないかもしれない.結婚してこの街で暮らすことになったのだが,高校当時はとても思い描けなかったことが現実になった.しかし今のこの暮らしには芸術が入り込んでいる.ウェブ制作を仕事にしているし,書斎は自分の好きなものを配置している.クリスチャンになり合唱を趣味にしている.芸術と疎遠になることなく,縁を持ち続けている.高校生の経験が,今まで続いている.
高校生の頃の鋭い感受性は,やはり今は無くなってしまった.街を歩いても意識に訴えかける刺激や高揚する情熱もほとんど感じられない.ただ,できることは増えたと思う.表現や思考の幅は高校時代の私よりついたし,思うことを不自由なく形にできるようになった.そして,時々高校生の頃の感覚を思い出すことがあり,その時は当時の新鮮さを鮮烈に覚え出せる.そして,もう今はそうでないことも認められる.
将来を見据えず芸術と道連れの人生を選ぼうとした高校生の私は,美しい時間を送っていた.今の生活がその延長にあるとはどうしても思えないが,当時の美意識が今の意識の水面下に大きくあることは認識できる.当時の挑戦と決意がなければ今の暮らしはない.今は思いの外生活や心身が安定し,社会的に一定の水準で成功し,破天荒な人生を送る必要がなくなった.そして静かな幸福と共に,平安のうちに過ごしている.
