たまに夢想するのは,高校を中退していなかったら,という人生の分岐についてだ.最も偏差値が高い高校に次点で入ってしまい,つまらなくなっていた高校2年の終わる時,転学して美術の作品を生み出す生活に切り替えた.その時の精神がもし続いていたら,地元幕張のIT企業で働いていたと思う.仕事帰りにジムに通い,最新技術を独学する日々を送れていたかもしれない.両親も喜んだろう.でもそうならなかった.
というのも,高校を卒業した翌日,精神を壊して通院することになってしまったからだ.だから,私の精神は連続していない.普通,人は人生を1本の連続した走馬灯にして振り返ることができると思う.でも私にはできない.枝分かれ,崩れ,消え去り,回復したように感じられる.実は昔のことを少しずつしか思い出せない.1回につき1風景.連続したもののように思えない.いくつかの点と点が線で繋がっていない.
もし私の同級生たちが高校時代の精神のまま今まで働いて生きているなら,どれほど充実した人生だろう.地に足がついた生きる実感の持てる人生だろう.そんな人は少ないと考えてきたが,逆で,ほとんどの人が学生時代の精神から続きながら生きているのかもしれない.私のように精神が特殊な形を辿った人の方が珍しいのかもしれない.そうすると,私の人生の特質は,実感ではなく,特殊性や珍しさであることになる.
私は今の人生を肯定し,満足している.成し遂げたかったことは達成できたからだ.得たかったものは全て得られたからだ.豊かな気持ちが続いて不可侵のままであるからだ.結果よければ全てよし.生き方もさまざま.どう生きても人生は満足できるだろうし,そうであるべきだと思う.でも,別の生き方で別の風景が見えると考えるなら,今の人生は確かなものではなかったと感じられる.人生は分岐している.
