社会から距離を置くこと.私はこれでも現代の文化についていっている方の人間だと思う.男だがワセリンやコスメや香水を使っている.暗号資産も持っている.情報技術には早めに適応している.ミニマリズムで幸福を感じているし,食生活は改善工夫を欠かさず暮らしている.現代の科学的正解に則って生活を改善していくこと自体,面白いことだと思っている.それでいて現代社会から距離を置きたいと思っている.
クリスチャンで良かったと思うのは,信仰のない一流に勝れることだ.時に当然だと考えていた知識やクリスチャンなら当然備わる人柄が,意外と珍しく受け取られることが多くある.それで多様な先輩方と交流を深められている面がある.そこから得た教訓は,社会の知恵にあまり価値はなく,実行も知恵が誤っていれば力がない.その知恵は聖書的かどうかで真実味が違ってくる.聖書に基づいて動くべきだ,常に.
聖書に反するような思想やアイデアもいくつも知っている.そういうものはいずれ瓦解して忘れ去られるだけ.そんなことに関係しているほど人生は退屈ではない.勉強したいことが多くあり続ける時代を私は生きている.教育は大事だし,一定の資産も大事だ.何の用もない時間も貴重だ.でも,信仰がなければ何も意味がない.静かな時に祈り満足するか,新たな悩みの種を蒔いてしまうか,これは大きな違いだ.
心配や不安は主に祈れば起きない.現実を支配しているのは主である.これが架空の話だとしても,そう考えることは真理の筋に乗っている.信仰の教えはいずれ科学が証明する.科学は信仰を証明するだけの営みだと言っていい.ならば,科学が利かせる社会とは,信仰の社会になるはずである.未発達の社会を離れて信仰に生きれば,現代の文化の渦中に止まらなくても,満足のうちに幸せに暮らせるだろう.
