友人にMさんがいる.生活保護を受けて独りで暮らし,仕事は軽作業を転々としている.若い時に勉強しなかったせいか,最近情報を得ても学びの意味がわからなくなったと言っていた.彼もクリスチャンなので,私は主に祈ることを勧めた.きっとそうしているだろう.彼は三流ではないが,人生の成功者ではない.糖尿病に加え,障がいをも抱えている.でも,生活は簡素で,食生活を改善する努力もしている人物だ.
私は彼から送られるネットニュースを最近は読み飛ばしている.無料のニュースに学ぶ価値はないからだ.その代わり,そのニュースに対になるような情報源を送るようにしている.物事を多面的に見られるのは大事だからだ.貧困のうちにいると考えが線条的になり,自分の人生経験を絶対化してしまいがちだ.そうならないような情報源で応じるつもりだ.でもそれが彼の気力を削いでいるきらいもある.
合唱団の80代の先輩は,友情に篤い人物.いつもその相手のためになるアイデアや言葉をかけてくれる.一流だと思う.周りには有能な人々が集まり,ご本人も余生を趣味の声楽で悠々自適に過ごしている.皆考えることはするがそれを地で実現している人は稀だ.私はその大先輩に大いに感化されてきた.そのおかげで,Mさんを友人とし続けている.というのは,何度か縁を切ろうと考えたものだったから.
もし得るものがなくても,効かせることはできる.学び取ってきたのなら,自分が分け与えてやるべきだ.年齢は関係ない.それでも得させてくれる人は一流だ,だが与えさせてくれる人物も大事にしたい.それは私が与えることで私は少なくない幸せを得ているからだ.私はこの基準を大切にしたいと思う.人に序列をつけるとしても,人との関係を分け隔てないこと.与えて得ることのない人はいないだろうから.
