この部録を続けていると,無限に文書を作成できる気がする.手元の百種類もないキーをただ打っていく動作だけで,ある程度意味のある文章が次々生産されていく.この6年間続いている部録の記事数もそろそろ1,700を数える.こんなつまらない日記を6年間も続けられたので,文章をまとめる力がついた気がするし,ある方向で思考を広げる力もついた.書きたいことを考える力もついた.これらの習慣をさらに増強したい.
流れる音楽のように時間に任せて文字を打っていく作業によって形を成していく文章が,時間を消費して生産される結果だとすると,私はすでに大きな時間をこの文字列作成に費やしてきた.この消費を浪費ではなく投資にしたい.なにかこれから先の活動に役立てたい.そう思う時,いつも擡げるのが,文学的生産,作品の制作である.私は小説家になりたいのでは決してないが,話を作って文にして公開したい気持ちはある.
私は文字が好きだし,言葉を操るのも嫌いではない.実際,言語能力は低くないと思うが,言葉で表現することが得意ではない.この矛盾した能力は傑作を生み出す素質に欠けることを表しているけど,私にしか書けない思想や表現があると思う.なにか文学賞を受けたいとか作品で有名になりたいとはあまり望まない.私の作品を多くの人の目に触れたいという欲もない.ただ私の生み出した文字列で作品群を作りたいのだ.
何のために作るか,まだわからない.考えていくべきことかもしれないけど,これを空欄にしたまま制作を始めても,いいと思う.芸術家の素質を多くの人に認められてきた.しかし表現は依然として拙い.この素質を活かした制作は,私の生きている意味を強める.無限に生み出せる入出力装置を操っているのだ,私の意味も無限に強められる.そのあたりから始めて,いずれ変わってくるだろうし,なにか獲得しているだろう.
